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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(オ)907号 判決

上告人

寺岡信一

右訴訟代理人

江谷英男

藤村睦美

被上告人

津田賀茂代

右訴訟代理人

板持吉雄

小山田貫爾

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人江谷英男、同藤村睦美の上告理由第一点について

本件建物が無価値のものでなく、まだかなりの価値を有するものであるとする原判決の認定判断は、その挙示する証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は判決の結論に影響のない点をとらえて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第二点について

遺留分権利者が民法一〇三一条の規定に基づき遺贈の減殺を請求した場合において、受遺者が減殺を受けるべき限度において遺贈の目的の価額を遺留分権利者に弁償して返還の義務を免れうることは、同法一〇四一条により明らかであるところ、本件のように特定物の遺贈につき履行がされた場合において右規定により受遺者が返還の義務を免れる効果を生ずるためには、受遺者において遺留分権利者に対し価額の弁償を現実に履行し又は価額の弁償のための弁済の提供をしなければならず、単に価額の弁償をすべき旨の意思表示をしただけでは足りないもの、と解するのが相当である。けだし、右のような場合に単に弁償の意思表示をしたのみで受遺者をして返還の義務を免れさせるものとすることは、同条一項の規定の体裁に必ずしも合うものではないばかりでなく、遺留分権利者に対し右価額を確実に手中に収める道を保障しないまま減殺の請求の対象とされた目的の受遺者への帰属の効果を確定する結果となり、遺留分権利者と受遺者との間の権利の調整上公平を失し、ひいては遺留分の制度を設けた法意にそわないこととなるものというべきであるからである。

これを本件についてみるのに、原審の確定したところによれば、被上告人は、遺贈者亡寺岡千代の長女で唯一の相続人であり、遺留分権利者として右千代がその所有の財産である本件建物を目的としていた遺贈につき減殺の請求をしたところ、本件建物の受遺者としてこれにつき所有権移転登記を経由している上告人は、本件建物についての価額を弁償する旨の意思表示をしただけであり、右価額の弁償を現実に履行し又は価額弁償のため弁済の提供をしたことについては主張立証をしていない、というのであるから、被上告人は本件建物につき二分の一の持分権を有しているものであり、上告人は遺留分減殺により被上告人に対し本件建物につき二分の一の持分権移転登記手続をすべき義務を免れることができないといわなければならない。

したがつて、これと同趣旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(服部高顯 江里口清雄 高辻正己 環昌一 横井大三)

上告代理人江谷英男、同藤村睦美の上告理由

第一点 〈省略〉

第二点 原判決には判決に影響を及ぼすこと明かな民法第一〇四一条第一項の解釈を誤つた違法があるから破棄すべきである。

(1) 原判決は、「民法第一〇四一条第一項は、受贈者または受遺者に対し目的物を返還するか、価額を弁償するかの選択権を認めているが、遺留分権利者の目的物の返還請求権は受贈者や受遺者において価額弁償の意思表示をしただけでは消滅せず、価額弁償が現実になされてはじめて消滅するものと解するのが相当である。けだし、そのように解しないと、遺留分権利者が減殺請求すれば、贈与または遺留分を侵害する限度において失効し、受贈者または受遺者が取得した権利は、右の限度で当然に減殺請求をした遺留分権利者に帰属することになる(民法第一〇三一条参照)のに、受贈者または受遺者の価額弁償の意思表示によつて目的物返還請求権が消滅するとすれば、遺留分権利者はその後は受贈者または受遺者の一般債権者と同じ立場のものとして扱われることになり、折角遺留分減殺請求権に物権的効果を与えて、遺留分権利者を受贈者または受遺者の一般債権者より強く保護した右規定の趣旨を没却することになり、不当だからである。」とする。

(2) しかし、右原審の民法第一〇四一条第一項の解釈は誤つている。

民法第一〇四一条第一項が受贈者及び受遺者に対し減殺を受けるべき限度の価額を弁償してその返還の義務を免れることを規定したのは、受贈者及び受遺者に対する価額弁償の特典を認めたものであるから、受贈者らが価額弁償の意思表示をし、それが遺留分権利者に到達した時点で、遺留分権は一種の金銭債権に変わり、以後権利者は現物返還を求めることができないと解すべきであるからである。

以下その理由をのべる。

(イ) 民法第一〇四一条第一項が目的物の価額を弁償することによつて目的物返還義務を免れうるとして、目的物を返還するか、価額を弁償するかを義務者である受贈者の決するところに委ねたのは、価額の弁償を認めても遺留分権利者の生活保障上支障をきたすことにはならず、一方これを認めることによつて、被相続人の意思を尊重しつつ、すでに目的物の上に利害関係を生じた受贈者又は受遺者と遺留分権利者との利益の調和をもはかることができるとの理由に基づくものと解されるとされていること。――最高裁昭和五一年八月三〇日最高裁第二小法廷判決(昭和五〇年(オ)第九二〇号持分権移転登記等請求事件)最高裁民集三〇巻七号七六八頁。

(ロ) 若し、原審のように、価額弁償が現実になされてはじめて消滅するものと解するとすれば、減殺請求をした遺留分権利者としては履行不能による場合は別として現物の返還を請求する以外に方法がないことになり、したがつて、判決においても現物返還を命ずることしかできない。

ところが、前記(イ)に引用した最高裁判決は、受遺者からの価額弁償の申出に対し、遺留分権利者が第二審において訴えの交換的変更をして、一定の金銭の支払いを求めたのに対し、原審が遺留分権利者の金員の支払請求を一部認容したのを支持している。

これは最高裁が受贈者、又は受遺者からの価額弁償の申出がなされた以上は、権利者は価額返還で満足するほかはないことを認めたことが前提となつている。すなわち価額弁償については現実に価額の弁償をする必要はなく価額弁償を選択する旨の意思表示で足りるということである。このように解しないと遺留分権利者からの金員請求が認容される理由は見出しえないからである。

そして、このように解することによつて右最高裁判決が(イ)にのべているような第一〇四一条第一項の趣旨を達成できることになる。したがつて、原審判断は右最高裁判決と相反するものである。

(ハ) また、原審のように解することは、受贈者や受遺者に不能をしいることになり不都合、不合理である。けだし当事者間に争いのある場合においては弁償すべき額は受贈者に必ずしも明らかではなく、裁判所の判定によつてはじめて明らかになる場合が少くないから、かかる場合現実に弁償しなければならないとすれば受贈者に不能を強いる結果となりかねないからである(昭和三九年七月二〇日福島地裁下級民集一五巻七号一八四二頁)。

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